櫨谷街道

櫨谷街道

東西道として唯一の街道。明石方面と結び、、かつ押部谷木見方面に抜ける櫨谷町の根幹道路です。

櫨谷町には、友清を省くすべての集落を、ほぼ東西方向に貫いて、県道小部明石線、いわゆる「櫨谷街道」が走っています。東西道として唯一の櫨谷街道は、明石方面と結び、かつ押部谷町木見方面に抜ける櫨谷町の根幹道路でもあります。そのほかは、ほとんどが南北方面への山越えの道ばかりだったのです。

かつて櫨谷街道は、現在の小部明石線(明石市から神戸市北区鈴蘭台まで)として拡張改良され、さらにニュータウン開発関連で整備された神戸市道西神中央線とともに櫨谷の幹線道路となっています。

櫨谷街道は米を運んだ道でもありました。そして、大正末期まで荷車が通ることができる唯一の道であったといいます。しかもそれは明石から寺町まであり、そこから先の木見方面へは狭い山道が続き、木見から明石への酒米の供出には半月も要したといいます。つまり、その他の道は荷車さえ通れぬ狭い道だったということです。

この櫨谷街道の名残は、福谷、寺谷などでも見られます。この街道の一番奥に位置する寺谷は押部谷町木見と接し、その南側には寺谷ファームズ(牛牧場)が広がり、北側には神戸市水道局の小さな施設があり、この付近に如意寺が立てられたとの伝承があります。その山裾に「如意ガ谷」の小字名が残っています。寺谷橋の北、300メートル付近の台地に櫨谷城(端谷城、寺谷城)の跡があります。衣笠範景がこの地に築いたといわれる典型的な戦国末期の山城です。

現在の櫨谷街道

現在の櫨谷街道

旧馬車道に残る古道

旧馬車道に残る古道

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