福谷の由来

福谷の由来

福谷は交通の要衝

福谷の集落は、押部谷町高和と伊川谷町前開を結ぶ位置にあり、古くは「中村」(『国郡全図』天保8年)と呼ばれ、交通の要衝でした。東南の台地には福谷城址が残っています。また、秋葉神社、宝福寺、友清集落との境には櫨谷神社があります。

江戸時代の中頃の福谷村には、他に瓦葺きの堂(3間四方)をもつ境内85間に40間の薬師堂と、大蔵森(6間四方)、若宮森(4間四方)、大神宮森(3間四方)、地蔵山(60間×30間)、そして西法寺森(3間四方)のあったことが、『明石記』に見えています。

中村から福谷へ

中村といわれていた福谷が、どうして、いつごろから福谷と名前が変えられたのか、定かではありません。

往時は、余り裕福ではなかったので、名前でも変えて良くなろうと、村人たちの願いがそうさせたのではないかとも考えられます。
中村といわれていたころの、櫨谷村の集落は、東に寺谷、西から南へかけて池谷、長谷、谷口と「谷」を名乗る集落があり、今も変わっていません。中村も「谷」にあやかりたいと思う人がいても不思議ではありません。

「谷」とは“水が川に注ぐ渓といい、渓にそそぐを谷という”と字源にあります。また、コクと読むのは穀の音通、すなわち穀とは生を養うもので、やしなうとも読まれます。

「福」の義は、さいわい、しあわせ、めでたし、よし、などの訓読があり、谷・福ともに希望に満ちた文字といえるでしょう。

これらをヒントに、中村を改名するとすれば、近隣に多い「谷」の、五穀豊饒につながる生を養う谷をつかい、単なる谷間だけの意味としての「谷」を使ったのではなく、未来への夢を表した「谷」。福谷と命名したとしても、あながち牽強付会と、非難することはできないでしょう。

しかし、『播磨鑑』(宝暦12年ー18世紀ー)にすでに「福谷村」の名が見えることから類推しますと、中村と呼ばれていたという史実をつかむことが先決かも知れません。

一説によりますと福谷村は往時、裕福な村落であったエピソードとして、次のような話があります。

村落の集会があると、他の部落からは弁当やにぎり飯を持参しますが、福谷の人たちは、その場で店屋ものを注文していたということです。貧乏村とは正反対の話です(時代は不明)。

この話は「中村」から脱却し「福谷」へ変身してから、良くなった例話として受け取れば、大いに説得力があります。

福谷の名称の変遷

福谷の名称の変遷

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